製鉄所 たっぷり、たのしい。

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北京原人でもわかる製鉄所入門

台湾に行きました。台湾旅行のことを記しても楽しくないと思うので、日本史(世界史)の情報を中心に書きたいと思います。これから受験勉強を控えてる人にも読んでもらいたいです

対策がしづらいと言われる近現代が中心なのでむしろ高校二年生ぐらいの人にぜひ読んでもらえたら、なんていう気持ちもあります。口調とかがめちゃくちゃうざいです。

日本史といっても受験日本史に出てくる上辺だけの浅はかな知識なので間違った情報があればコメントください!日本史で出てくる重要ワードは色付きの文字で書こうと思います。
世界史選択の人に聞いてみたところ、日本史と同じようなことを扱ったみたいなので誤差はないと思います。
現時点で台湾と日本は正式な国交がありません!それはなぜなのかを解明しましょう
一連の流れでわかりやすい始まりはどこか考えた時、開国まで遡るのが一番わかりやすいと思ったので、150年前からお話しすることになりました。お付き合いください。
鎖国した理由は、長くなるので省略します。とりあえず江戸時代に日本は鎖国していました。とは言っても数国とは貿易もしていましたんですね?だから教科書表記も「鎖国」をやめるようにする動きもあるみたいです。
ペリー浦賀に来航して開国を求めた、というのが単純明快な説明ですね。ビッドルとか、日米和親条約・日米通商航海条約とかは省略します。名前だけ聞いたことある!って思うだけでもこの後の日本史の勉強がだいぶ楽になると思いますよ。精神的な話。
開港し、開国がおわりました。
しばらくして、なんだかんだあって、江戸時代が終わります。江戸時代が終わると明治時代が始まりますが、江戸時代と明治時代って全然違うものなんですよ!当たり前だけど。
江戸時代→緑
明治時代→赤
適当に色決めたらクリスマスカラーになってしもた…ちなみに私はリア充撲滅派です
日本の代表 将軍 天皇
え、書き出してみたら大きな違いってこれぐらいしか浮かばなかった…(笑)
実際変わるのは明治維新っていう劇的変化が起きてからですね。
15代の徳川慶喜大政奉還(昔みたいに天皇主権に戻す儀式)をして、明治天皇が即位します。ここから一世一元が始まって、天皇一代で一つの時代にしましょうとなるわけです。今話題の生前退位も関連してきますね。
それで気付けば明治時代、明治初期は「明治維新」と言われるように社会がめちゃくちゃに変わります。でも、今の日本の基礎ができるくらいで、政治経済の分野を勉強してるのと同じ感覚だと思います。
明治維新では版籍奉還廃藩置県があります。私は最後までこの二つの名前がごっちゃになってました。まあ簡単に言うと藩がなくなって県が置かれるってやつです。ほらそこ、「なぜ町田は神奈川に編成されなかったのか」というのは別の機会にしましょうね
なんか前置き長かったな…
と、言いながらもまだ前置きです。
そして開国した時に結んだ数々の条約(安政の5カ国条約とも言いますかね?)は日本にとって不利だったということで、条約改正に挑みます。
とは言っても日本は開国したばかりで世界的地位も高くなく、条約改正は難航します。
条約改正は順番に、岩倉具視使節団寺島宗則井上馨大隈重信青木周蔵陸奥宗光小村寿太郎 だった気がします。こんなに多くの人が交渉に行ってるってことは、相当苦労したってことですよ。
こうして世界との結びつきが強まる中、日本と中国は対立関係になりました。中国は当時「清」と呼ばれてましたね。だから日清戦争というわけです。きっかけはたくさんありますが、甲午農民戦争が起きて、日本と清の直接対決が始まったわけです。甲午農民戦争のことは今は気にしないでください笑。1894年のことです。つまりさっきの条約改正交渉でいうと陸奥宗光あたり。というのを抑えておくと、当時の外相は誰か?という問題にも太刀打ちできるわけなんですよ。まあ受験のテクってやつ。
日清戦争は日本が勝ちました。賠償金を得て八幡製鉄所を作ったりします。ちなみに、八幡製鉄所の創設と運業の年は違うので注意です。
中国より日本の方が強いという状況で、中国割譲の時期がやってきます。中国割譲っていうのは文字通り、中国の土地をいろんな国のものに割り当てるってやつです。
飛行機のゲロ袋に書いたので雑ですがこんな感じです。異論は認めます。そもそも縮尺がおかしい。
右半分の日本と台湾が、日本の領土になりました。それ以外は見た通り。アメリカはこの時フィリピンを占領しますが、南北戦争とかやってて忙しそうにしてました。だから割譲に参加できてないって感じです。
そう、これが台湾が日本史の近現代に出てくる始まりです。
で、この後はしばらく日本の領土のままです。
時は飛び、太平洋戦争
というか私は日本史がとっても苦手で、戦争の順番がわからなかったので整理しておきますね。
1894 日清戦争(日本と中国)日本Win
1904 日露戦争(日本とロシア)日本Win
1914 第一次世界大戦(日独伊vs.英仏露)ベルサイユ講和
1939 第二次世界大戦(日独伊vs.連合国(英米仏など))ポツダム宣言受け入れ日本降伏により終戦
で、太平洋戦争っていうのは第二次世界大戦のことです。連合国軍の数多くの国々と戦って、イタリアとドイツが降伏しても日本は戦い続け、日本の無条件降伏により終戦を迎えました。
この太平洋戦争の間も中国は揺れ動いています。国共合作という言葉が入試では出ますね。といっても日本史ではあ
んまり試験問題として出てこないですが、今の台湾と日本の国交がない状況をつくりだした重要な出来事です。
日中戦争の話をしたいのですが…複雑で何から説明していいのかわかりません。超省略して話しますね笑
中国割譲などなどを経て(超雑)、結局中国の一部が日本の占領下になります。南満州鉄道とか。略して「満鉄」です。満鉄には日本の軍隊が駐在していて、そこで盧溝橋事件が起きます。日本の軍人がやらかしたってこと。そして日本と中国が戦争始めちゃいます。でも宣戦布告してないから、戦争ではなく「支那事変」と当時は呼んでいたみたいです。まあ呼び方はどうであれ戦ったわけよね。
そんな時、中国国内では国民党共産党がいがみ合っていたんですよ。でもさ、国内での対立より日本に勝つことの方が重要じゃない?ってなるわけ。だから国民党と共産党は仲良くなります。それが国共合作。国共合作の前に西安事件が起きるんだけど、正直その内容が試験で問われることはあんまりないです。だから省略。
結果から言うと、この後国民党と共産党は分裂してしまいます。そして国民党が台湾に逃げ込み、中華民国の成立。共産党は大陸に居残り、中華人民共和国の成立。そういうわけで2つの国が出来ちゃうわけですね。それまでの過程をもう少し詳しく書いてみます。
日本は韓国併合をしましたが、韓国は独立したいよ?となって、国連に訴えます。結果日本は国連を脱退します。それは日中戦争(支那事変)以前の話ですが、その後太平洋戦争(第二次世界大戦)が終わると再び国連に加入します。国連の加入=日本とロシア間の国交回復 なのですが、日本が太平洋戦争(第二次世界大戦)で負けてから回復するきっかけとなります。
ちょっと話飛びます。でも戦後の話。ニクソンショックという、中米間の敵対関係緩和に続いて、日本も日中共同声明を出します。それはすなわち、中華人民共和国を中国にある唯一の合法政府だと認めたということです。では、中華民国(台湾)はというと、日本とは断交したことになります。国として認められなかったというわけ。そういうわけで、今でも民間レベルの国交はあっても正式国交がないのです。
中国が選挙を行わないのは共産党の名残です。冷戦(朝鮮半島で起きた北朝鮮と大韓民国の戦い)でも中国は社会主義サイドでロシアと北朝鮮の肩を持っています。歴史的に見ると納得できますよね?
途中、機内食が出たり気流が悪くてグラグラしたりして、言ってることがめちゃくちゃになった部分があると思います(言い訳)。でもとりあえずそういうことなんです。
台湾は親日の人が多かったです。みんな日本語話せます。むしろ英語が通じなくて困った場面が多かったです。もちろん日本の占領下だったという事実もありますが、やはり日本人への愛が感じられました。その理由はこの前テレビで紹介していたけど忘れました。とにかく素敵な国でした。
私はジブリ映画を見ないのでわからなかったですが、千と千尋の神隠しに出てくる場所らしいです↓
九?という場所で、土日の原宿より混んでました。四方八方日本人で、「邪魔だよ 」とか言うと通じてしまうので黙っていました。レストランも日本人しかいませんでした。
台湾では日本人も活躍していて、この前テレビでやっていたマンションを見に行きました。
熊谷組が建設を手がけている螺旋構造のマンションです。とにかく高度な技術が必要らしいです。日本人として誇りに思えます。↓
これで記事は終わりです。ただの自己満なのでほんとに面白くないし、歴史好きな人には「これちゃうくない?なに間違えてんの」って思われてることでしょう。
まあいいんですよ、間違えてたらコメントください(二回目)。多分受験勉強が終わりにさしかかってセンター試験前後になればなるほどって思える部分もあるかもしれないですし。
ほんとは鎌倉1人で散歩してこういうふうに書きたかったんですけど、それはまた鎌倉に行った時やります。本気の自己満です。自己満だとわかっていても本気出します。私はいつだって本気です。
過去のブログは読まないでください。アメ限だからみんな読めないと思うけど、ほんとに恥ずかしいの。だいたい「男性との出会いがない」で締めくくられてるから。出会いがないのは自分のせいです。わかってますからもう触れないでください。
今成田駅です。早く家に帰りたいです。
まとめ
・台湾たのしい
・日本史たのしい
・人生はエンターテイメント
おしり

製鉄所のレシピ・作り方の特集、あの商品、この逸品が驚きの金額です

戦争で起きた悲劇の場所は日本全国至るところにありますが、狭い範囲で多くの方が亡くなられた場所も多くあります。
福岡県北九州市八幡東区の小伊藤山は市内最大の防空壕だった。1945年8月8日午前10時ごろ、B29爆撃機が八幡を空襲。八幡を空襲した理由は戦争に必要な鉄を作っていた八幡製鉄所があったからです。
爆弾から逃れる為に市民が防空壕に隠れたが激しい爆撃で防空壕でも火災が発生、防空壕内に煙が充満し防空壕が崩れ、多くの住民が煙を吸って窒息死した。犠牲者は300人以上。
現在、小伊藤山は跡形も無くなりロータリーの中心となっている。場所はJR八幡駅から皿倉山方面に向かうメインの通りで駅から250mくらい。ロータリー中央には悲劇を伝える像が造られている。像に文字が書かれているようだったが中央に行く横断歩道のラインが無かったので像には行かなかった。
※ロータリーの車の通行量は多いので無理に中央に行くと危ないです。
八幡に八幡製鉄所に無ければ空爆は無かったでしょうし、戦争が無ければ日本に空爆も無かった。空爆は無差別殺人。敵意も武器も持たない子供や赤ちゃんまでもが無惨に殺される。それが戦争です。戦争は無差別殺人で人殺しと人類全員が強く思わなければいつか悲劇が繰り返されるでしょう!

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