製鉄所が昔から好きだった人々へ

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我が子に教えたい製鉄所

■「1945年8月9日」 
1945年(昭和20年)8月9日、長崎市にアメリカにより

原子爆弾投下。
当時の長崎市の人口は24万人。
原子爆弾投下により、7万4000人の方の命が
奪われた。

この原子爆弾は人類史上実戦で使用された
「最後の核兵器」です。

■「第1投下候補…小倉回避」 
アメリカ軍は8月6日の広島市に続き、8月9日
原子爆弾投下を決めてました。
当初は、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉)
にある小倉陸軍造兵廠上空からの投下予定。
が、原子爆弾搭載の米軍機が小倉上空に来ると、
霞もしくは煙のため、目視による投下目標確認に失敗。
この時視界を妨げていたのは前日にアメリカ軍が行った、
八幡市空襲(八幡・小倉間の距離はおよそ7km)の
残煙と靄だと言われている。
また、八幡製鉄所の従業員が少数機編隊で
敵機が北上している報を聞き、新型爆弾を警戒し
「コールタールを燃やして煙幕を張った」との証言も。 
目標物目視に3度失敗した米軍機に対し、
日本陸軍と海軍の戦闘機が緊急発進。
燃料不足のため、小倉投下を断念….第2の投下目標、
長崎へ向かう。 

■「長崎原子爆弾投下」 
長崎市上空も厚い雲に覆い隠されていたが、
雲の切れ間に目標物発見。
原子爆弾投下。

11時02分、市街地上空(浦上地区)で爆発。
この時のキノコ雲は100km離れた熊本市でも、
200km離れた大分県中津市からも見えるほど、

大きかった。 

■「広島投下原爆より1.5倍の威力」 
長崎原爆は「プルトニウム239」を使用する原子爆弾。
「広島に投下されたウラン235原爆の1.5倍の威力」。
長崎市は周りが山で囲まれたため、熱線や爆風が
山により遮断された。
その為、広島よりも被害は軽減されたが、周りが
平坦な土地であった場合の被害想定は、
広島の威力を超えたとも言われている。 

■「浦上地区」 

原爆は浦上地区
(爆心地である浦上地区は長崎市中心部から3km)
の酸素魚雷(燃料)工場直上で爆発、付近一帯を
壊滅させた。
浦上地区の被爆の惨状は広島市と同じく悲惨な物。
浦上教会(浦上天主堂)や長崎医科大学と多くの
犠牲者が。

長崎市内には捕虜を収容する施設(主に英軍・蘭軍兵士)
もあり、こちらでも多くの死傷者が。

この浦上地区は、中島川流域とは金比羅山で
隔てられており、多くの「キリシタン」が地下組織を作り、
禁教下も独自の信仰を守り続けた「隠れキリシタンの里」
であった。

■まとめ 
当時の長崎市は福岡市、八幡市(現在北九州八幡)
に次ぐ九州3番目の都市。

1570年、日本初のキリシタン大名とされる「大村純忠」
により「長崎開港」されて以来、「ポルトガルや中国」との

海外貿易の拠点として発展。
1636年に完成した「出島」は、1869年の「開国まで、
西洋との唯一の窓口」….そんな国際都市長崎。
しかし、1発の原子爆弾により人口の約4割近い方々の
命を奪った。
しかも、3日前に広島であれだけ大きな被害をおこしながら、
また3日後に原子爆弾を落とすだろうか?
それも広島より1.5倍破壊力のある爆弾を。 

戦後GHQ配下時代、更に悲しい事件がおきる。
なんとアメリカはある大学の医学部を利用し、
被爆者の「人体実験」を繰り返したのだ。
被ばくとは全く関係のない検査を2年間も….。 
これだけ悲惨な結果をおこしながら、更に
何を知りたいというのか。 

戦争から何が生まれるのだろう?

悲劇しか生まないのではないだろうか。  
ただ、1つだけこの8月9日は素晴らしいニュースが流れた。

なんと、原爆投下3日後、広島では鉄道が再開された

のだ!
これを知った時、私は人間の強さを知った。
私達日本人のDNAには、タフな魂が刻まれているのだと。 
戦争なき世界を創るため、今を生きよう。
そして明日へ、橋をかけて! 
(参考/長崎への原子爆弾投下wikipedia)  

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いつもと変わらぬ通勤時間、
学生も会社員も市内の中心に
集まって来ていた朝の8時過ぎ
原爆は落とされた。
即死した数は五万人を超え、日を追う毎に
その数はどんどん増えて行った?
原爆死55万人の死の意味
警察の検死記録に残されていた事実
焼死は煙に巻かれて死亡した
後に焼かれ死んでいった人
圧焼死とは瓦礫の下敷きになり
生きたまま焼かれた惨い死
熱傷死とは放射線によって
例えると電子レンジで体内の
肉が焼かれた様な状態で
血管や細胞が破壊され
数日で亡くなる症状
痛みや苦しみながら死んでいく
また、生き残ったとしても
感染症となり激しい痛みと
苦しみの中で死んでいった?
ある救護施設には被爆して
重傷を負った多くの子供たちが
集められていた。
死の床で彼らが口々にするのは
「おかあさんに早く迎えに来て下さい…。
             と伝えて下さい…。」
   どうすることもできないが
           懇願されると…。
 「分かったから大丈夫だよ」と
   嘘をつくしか無かったと…。
長くはない命を前に連絡先も
分からない。町全体が焼失しまって
多くの遺体があちこちに山積みに
されたままの状況では何もして
やれなかったと…。
涙ながらに「今もその時の光景が
        瞼に焼き付いているんです。」
と語っておられた年老いた
婦人の話があっていた。
子供たちや広島や長崎の人たちが
何をしたと言うのか?
何か罪を犯したのか?
爆心地より外にいて助かった人でも
生き残った被爆者は今度は下痢や吐血
に下血を繰返し苦しみながら死んで行く
急性原爆症が襲う。
直後に支援で爆心地に入って
放射能を帯びた粉塵を吸い込んで
内部被爆したのが原因?
セシューム137、放射性物質が
黒い雨となり山から流れ集まった
地域では内部被爆者が多くでた。
外部被爆より飲んだり食べたりして
体内に吸収した場合、放射線量は
高くなる。
水や食べ物から取ってしまったのか
数か月で亡くなってしまう人も多くいた。
55万人の殆んどは普通の市民だった。
ただ軍需工場が多くあったのも事実
私の生れた北九州も製鉄の街で投下
予定地で狙われてはいたが偶然、雲が
多く予定が変更され長崎か広島に
変わったと聞いている。
父は若い頃、製鉄所にいたので
落ちていたら私は存在してなかった。
アメリカ人や世界の多くの人々は
戦争を早く終わらせる為には
原爆投下は正しかったと言っている。
私、自身も日本がアジアの人たちを
侵略し虐殺してきた歴史への罰だと
思っていた。
戦争も良くないが、民間人を
殺す目的の原爆は少し意味が
違うと思う?
正当化は出来ない?
人殺しをした凶悪犯がいたとして
そいつを投降させるために
その奥さんや子供や家族や
親戚までも目の前で生きたまま
焼き殺す様なもの?
それが何で許されるのか?
それが正義なのか?
人としてどうなのか?
が問われる問題だが
誰が考えてもやっては
いけないことに決まっている?
なのにやってしまうのが
狂気の中で作られる。
愚かで完璧じゃない人間の弱さ?
戦争だけの問題じゃないのかも知れない。
人間の持つ傲慢さが差別や敵意を
産み悲惨な戦争を引き起こす?
そして戦争は徐々にエスカレートし
綺麗事だけじゃ済まされなくなる?
狂気の世界に人々を迷い込ませる。
太古の昔からある、殺戮の歴史は
今日も繰り返えされ続けている。
一人一人の心の底にある悪との
闘いが争いを無くす鍵となる。
ドラマの中で、ある戦争体験者の
話があっていた。
戦争から帰った彼はいつも笑っていた。
その理由を聞くと命の大切さを
語ってくれた。
若い頃、戦争の最前線の南方の激戦地で
の出来事、今でも忘れられない。
ある夜、偵察を命じられ一人で暗闇の中
、歩いていたら、突然一人の敵兵と鉢合わせに
なったそうで、殺されると思ったが慌てた
彼は驚いただけで何も出来なかったと…。
その時の相手は、まだ若い英国人だった
そうだが、その目は優しく笑顔だったと…。
そして何もせずに去って
行ったとのことでした。
隊はほぼ全滅したが奇跡に
彼は生きて帰れたそうです。
あのときに笑顔が出せなかった
自分を恥、また拾った命の
大切さを知り、皆に優しく
困った人の為に生きよう。
どんなときも笑顔でいようと
誓ったそうです。
お盆を前に戦争や事件や
事故で亡くなった人々の
ご冥福をお祈り申し上げます。

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