志望していないのに、脂肪はつく。「製鉄所に相談だ。」

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佐藤雅美氏の【覚悟の人・小栗上野介忠順伝】を

読み直してみました。

池波氏の【戦国と幕末】にもこの小栗上野介のエピソードは

載っていましたが・・・。

【覚悟の人】では、小栗上野介という人物が幕臣としてのみならず

日本人として列強に毅然と対応し、いかに実績をあげたかが、

より詳しく書いてありました。

小栗忠順(ただまさ)(1827-1868)

三河以来の名門小栗家12代当主・二千五百石の旗本。

小栗は安政7年(1860)2月22日、

井伊大老の命により日米修好通商条約の批准書交換のため

使節団の御目付として米艦ポーハタン号で渡米しました。

(この時、勝海舟もポーハタン号の護衛艦だった咸臨丸に乗り

随行しています

(3月3日、井伊大老が桜田門外にて暗殺されましたが、小栗たちがこれを知るのは4月23日フィラデルフィアだったとか)

※(追記)・・・井伊暗殺の報を確認したのは帰路香港に辿りついてからという説と、帰国後品川あたりで、という説あり。

ワシントンでは日米修好通商条約批准書交換の他、通貨の交換比率の見直し交渉なども行い、正使であった新見豊前守よりも

アメリカの人々に強い印象を持たれたようです。

帰路は大西洋まわりで地球を一周する航路を取ったので

その間、世界各地の実情・技術などを学ぶことができたようです。

9月末に帰国後、小栗は外国奉行・軍艦奉行・勘定奉行を歴任。

横須賀に製鉄所を建設し、また仏蘭西語伝習所を開設したり、

陸軍力の増強のため小銃・大砲などの国産化を推進したり、

慶応2年(1866)には関税率改訂交渉にも尽力します。

このように日本の国力を上げるべく努力をしていたのです。

しかし、慶応3年10月(1867)慶喜が大政奉還をし、

翌慶応4年1月には鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れ、

慶喜が幕軍をおいて大坂から江戸へ帰ってきてしまうという

予期せぬ事態が起こります。

江戸城内での評定では、小栗・榎本武陽・大鳥圭介・水野忠徳などが官軍との徹底抗戦を主張しますが、慶喜は恭順を決定しました。

慶応4年1月半ば、小栗は御役御免となりました。

そこで知行地の上野国群馬郡権田村への移住を願い出ます。

2月28日、一族郎党を引き連れ、権田村の東善寺を仮住まいとしました。

ただ家族や家臣たちと静かに隠遁生活を送るつもりだったのでしょう。

ところが当地に蔓延る野盗(暴徒)から村人達を守ろうとしたのが

官軍から「謀反」であるとの疑いをかけられて・・・

慶応4年閏4月5日、東山道軍(官軍)に率いられた高崎藩・安中藩・吉井藩兵らによって、小栗と家臣3名は捕縛されます。

翌6日には、なんの詮議もされぬまま、鳥川の河原において

小栗主従は斬首されてしまいました。

7日には養子の小栗又一も斬首されました。

(母・妻・養女らはかろうじて逃げ延び、明治期を生き抜いたそうです)

なぜ、官軍はこうも慌てて小栗を葬ろうとしたのでしょう。

一説に、あまりに小栗上野介が優秀であったからと。

その率直な能弁さを極度に恐れたのでしょうか・・・。

司馬さんも小栗上野介を、【明治の父】と評されています。

明治政府にとっても小栗は有能な官僚であったはずです。

彼の力を生かしていたら、もっと富国強兵政策が成功したかも

知れません。それが国民にとって良いか悪いかは別にして。

毎年夏は、先の大戦で犠牲になられた方々を悼む季節です。

それに加えてさらに、幕末・維新を学びつつあるこの夏は

明治維新の動乱の中に非業の最期をとげた数多の人々にも

哀悼の心を寄せていきたいと思います。

私を笑え製鉄所

「ミサイル発射、もういいかげん疲れた」漏れてきた北朝鮮国民のホンネ

北朝鮮は、ミサイル発射実験や核実験を行うたびに、その成功を喜ぶ自国民の姿を、国営メディアを通じて全世界に配信している。だが、それはすべて演出されたものだ。

世界でも例を見ないほどの情報統制を敷き、国民が海外からの情報にアクセスできないようにしている北朝鮮だが、普通の人々の感覚は驚くほどわれわれと近い。

(参考記事:)


理不尽な虐殺


先月28日のミサイル発射実験を受けて、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は、「もういい加減に疲れた」とする北朝鮮の人々の生の声を伝えた。そこには疲労と不安が強くにじみ出ている。



北西部の慈江道(チャガンド)の情報筋によると、「住民の心中は、ミサイル発射が成功した喜びよりも、心配の方が大きい。発射を祝う軍民連歓大会に動員されたり、大会に必要な物資を供出させられたりするかもしれない。そうなれば、こき使われてクタクタになるだけではなく、なけなしのカネも、市場で商売する時間も奪われ、経済的に困窮することになるからだ」という。

一方、幹部の中にはミサイル発射と関連して、食糧問題を心配する向きもある。今年の北朝鮮では未だに梅雨が明けておらず、長雨が続いているため、凶作になる恐れが出ている。

前出の情報筋は、「農業がダメになり、足りない食糧を海外から援助してもらおうにも、ミサイル発射のせいで多くの国が援助を渋るかもしれない」と懸念を表す。




実際、国連の世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の子どもを対象に行なってきた栄養支援事業は、今年春に中断を余儀なくされた。国際社会が、ミサイル発射実験や核実験を続ける北朝鮮への援助のための資金提供を渋ったからだ。

これを受け北朝鮮国内では、「ミサイルと核兵器が第2の『苦難の行軍』(90年代末の大飢饉)を招きかねない」との声まで上がっているという。

(参考記事:)

そのような不安心理の表れだろうか。市場では、収穫が始まったにもかかわわず、トウモロコシ価格が上昇に転じているもようだ。




一方、現在中国に滞在中の北朝鮮の貿易関係者は、強い表現を使って金正恩氏のやり方への疑問を表した。

「単なるミサイル発射ではなく、もはや狂気の域に達している。中国に原油を止められたらわが国は一巻の終わりだ」

またこの関係者によれば、北朝鮮の中央の幹部が最も恐れているのは、中国が貿易統制を強化することと合わせて、米国が日本と韓国に核兵器を配備することだという。



「もし米国が日本と韓国に核兵器を配備することになれば、中国とロシアは今まで経験したことのない新たなリスクにさらされることになる。それは経済的圧迫となって北朝鮮に返ってくる」(貿易関係者)

こうした意見がわずかでも北朝鮮の政策に反映されるようになれば、北東アジアの安全保障は相当な変化を見せるはずだ。

しかし残念ながら、北朝鮮には民主主義がない。権力に対して何かを主張すれば、その内容が正しければ正しいほど権力の目の敵にされ、粛清の憂き目に遭う。「苦難の行軍」の時代には、自力で食べ物を調達しようとしただけの労働者たちが、理不尽な理由で虐殺された事件すらあった。

(参考記事:)


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