製鉄所 デイリーニコニコ
製鉄所の最新情報を発信、大切な記念日のプレゼントにとえもいいですね
福岡天神にあるギャラリーとわーるで、松川英俊の初めての個展が開かれた。
今まで松川の作品はグループ展などで見ることができたが、作品は1点か2点で、今回のようにまとまった展示は、初めてだったようだ。
それでもコンセプトに重きを置く松川は、作品数をしぼり、周囲の壁面とうまく対比させ、すっきりした美しい風景を、画廊の中に作り出した。
松川が変形の支持体を主に用いるようになったのは、いつの頃だろうか。今回もそれら支持体を、側面も含めて黒い色で覆い、その上に部分的に、メタリック系のアクリル絵具で、有機的な形に絵の具を垂らしたり、線条にドリッピング(ポアリング)したりしている。さらに、それらの上に電動のドリルで小さな穴を多数穿っている。
作品は何枚かで組になったものもあり、いくつかのグループに分かれている。
はじめは、いつもの松川の作品を見るような眼で眺めていたが、そのうちいつもとは違う気配を感じ始めた。ドリルで削られた小さな無数の穴が蠢いていたり、植物の胞子のように放出されて、支持体の上を浮遊したりしている。画廊空間を漂っている点の群れも、見えているような気になってきた。
斎藤義重(1904-2001)にも合板に無数の穴を穿った作品がある。斎藤の場合はそれらの穴は、あくまでも構成のための要素であるが、松川の場合は違う。物質としての属性から解放されて、空間を自在に動き回っている。また、観者の内面にも作用し、何故か不思議なスピリチャルな気持ちにさせる。
現在の松川は、絵画を支持体の上だけで完結させようなどとは、考えてない。絵画はそれを取り巻く周辺との相互作用であり、変形の支持体を採用しているのも、そのための方策ではないか。多数の穿かれた穴は、私には伝道師のように思える。何か重要なメッセージを周辺の未知な世界に伝えているのかもしれない。
現在80歳の松川は若々しい。決してそのような年齢には見えない。松川の目の表情を見ていると、艶めかしい色気さえ感じる。80歳の老人の誰が大きなベニヤ板を切断し、くぎを打ち、ドリルで穴をあけ、重い作品を移動させるなどという仕事ができるだろうか。それでも、ドリルで穴を無数に開けていると、いつまでこのような作業を続けるのだろうかという想いにとらわれるらしい。
松川は変化している。私の知っている松川の過去の作品は、隅々まで計算された、知的で、気合の入った厳しいものであった。しかし、近作では、作品の完成度などには興味をなくし、自分を超えた何かに作品の完成を委ねている。 今後の確実な展開を祈念する。
ところで、美術の学校を出ていない松川は、独学の作家と言えるだろう。だが、戦後の日本では、どこでもそうだったと思うが、職場の文化サークル活動が盛んであった。そのようなサークル活動の成果が北九州市では文学の直木賞作家佐木隆三であり、美術では松川もその中の一人である。北九州の八幡の場合、主になったサークルとして八幡製鉄所の支援を受けた朱画会とより門戸を開放し、生活に根差した表現を目指した生活美術協会があった。松川は生活美術協会に所属していたようだ。そこで先輩の指導を受け、互いに刺激しあって研鑽したようだ。時代も熱かった。欧米の、とくにアメリカの美術の新しい傾向が、どんどん流入してきていた。当時青年であった松川も、目を輝かせ流行を追い、そのような作品を生んだ背景や基盤について、考えを巡らしたに違いない。
体制に媚びることなく、矜持をもって質の高い仕事を続けてこられた松川英俊を、同じ北九州市民として誇りに思う。是非しっかりしたスペースで松川の画業(新作も含めて)を回顧して欲しい。また、松川達を育てた職場の美術サークルについても、関係者の死亡や高齢化、資料の散逸を考えると検証が急がれる。
コメント