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柏木神社(かしわぎじんじゃ)

多賀城市大代に鎮座。旧社格は村社。

御祭神として藻塩場老翁神・藻塩場老女神を祀る。


柏木神社の御祭神である藻塩場老翁神と藻塩場老女神は

鹽竈神社の主祭神である塩土老翁神のお供の神々のうちの二柱であり、

柏木神社は鹽竈神社の十四末社の一社になっています。

藻塩場老翁神と藻塩場老女神は柏の木を愛しており、

二柱を祀る神社の鎮守の杜の木々は全て柏の木だったそうな。

また、藻塩場老翁神と藻塩場老女神は塩土老翁神の命を受けて

製塩に従事され、作った塩を柏葉で包んで民に分け与えたそうです。

そのため、二柱を祀る神社は『柏木神社』と呼ばれたのだとか。

由緒によれば、柏木神社は桓武天皇の御宇である

延暦2年(783年)に勧請されたという。

鎮座当初は大代字元舟場(砂押川の河口付近)の地に鎮座していた。

安産の神として信仰されており、妊婦が柏木大神に祈願すれば

神々の御加護により、お産の際に母子ともに健康であるとされています。

中世には、真言宗(密教)の視点から神道を解釈しようとする

両部神道の思想をうけて、後光明天皇の御宇である承応年間(1652年頃)には

本山派修験である来寶坊永順という者が不動明王像と観音像の二像を

御神体として安置し、これをお祀りするという状態が長く続いた。

明治2年冬、不動明王像と観音像を祀るのを止め、鹽竈神社の神職により

藻塩場老翁神と藻塩場老女神を祀る神社に戻すことを神前に奉告する祭が行われ

神社として『柏木神社』という社名に戻すこととなった。

明治4年に村社に指定されたが、氏子が少なく、祭祀継続が困難なため、

明治42年に笠神字上ノ台に鎮座する仁和多利神社へ合祀された。

昭和18年、仁和多利神社の鎮座地一体が海軍工廠の用地に選ばれたため、

仁和多利神社は大代字中峰(現在の柏木神社の鎮座地)に遷座された。

柏木神社もそれに伴い、当初の鎮座地である大代に戻ることになった。

昭和35年、氏子の強い要望を受け、仁和多利神社を再び笠神の地に戻り、

仁和多利神社に合祀されていた須賀神社も牛王町に遷座されたため、

柏木神社のみが現在の鎮座地の大代に残ることになり、現在に至る。


鹽竈神社の塩土老翁神のお付きの神々を祀る神社、

その1回目は、多賀城市大代に鎮座する柏木神社です。

鎮座地は、みやぎ生協大代店の北側、柏幼稚園のお隣になります。

余談ですが、柏木神社社務所に電話すると柏幼稚園につながりますが、

これは柏木神社の宮司さんが理事長をされているからなのです。

(用事の際は、柏幼稚園の方が社務所に取り次いでくださいます)

柏木神社鳥居。隣には柏幼稚園のピンキーな送迎バスが!!

鳥居のそばにはモミジの木がありますが、秋にはこんなに綺麗に色づきます。

柏木神社は周囲より少し高台に鎮座しています。

東北地方太平洋沖地震の際、津波は参道前の坂で止まったそうです。

柏木神社参道。拝殿右側の茶色い葉っぱが、

神社の由緒にも出てくる『柏の木』です。

入母屋造りの柏木神社拝殿です。

一間社流造の御本殿。小さいながらも美しい御本殿です。

御本殿左手の境内社。招魂社のような御社で、御祭神として

戦没将兵の御霊を祀るとのこと。この社殿は柏木神社の旧御本殿だそうです。

また、柏木神社の東側には、『柏木遺跡』という遺跡があります。

柏木遺跡は奈良時代前半の製鉄所・炭釜・工房などの大規模複合施設群で、

多賀城直営の製鉄所と推察されています。


柏木神社の御朱印ですが、境内にある授与所でいただく形になります。

もし、授与所に誰もいない場合は、社務所に電話すると宮司さんの

自宅に取り次いでくださいます。

数年前のものですが、柏木神社の御朱印です。

右上の印は先代の宮司さんが作られたものということでした。

2017年現在、写真の神璽印で御朱印を授与していただけます。


< 地図 >


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お暑うございます… 

ちょいとバテ気味の珠里です 

と言っても、関東方ではあまり天気も良くなく

そんなに気温も高くはないのでしょうか。

薩摩では、相変わらず、ちょっと動くと汗が。。。 

今日は「篤姫」の生誕地、今和泉へ行ってきました。

うふっ  

豊玉媛神社」へも行ってきました 

が、先に先日訪れた仙厳園の記事をお届けしますね 

仙厳園(磯庭園)

万治元年、第19代当主・島津光久によって造園。

その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。

借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、昭和33年「国の名勝」に指定。

幕末には第28代当主・島津斉彬がこの敷地の一部を使って、ヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。

安政4年、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる。

明治21年からは焼失した鹿児島城に代わり、島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。

昭和24年、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、昭和32年には島津家に返還され、現在島津興業が管理している。

春の曲水の宴や江戸時代の作法に則って行われる端午の節句、七夕の展示、初冬に行われる草鹿式などが有名。

  (ウィキペディア要約)

結婚する前に一度訪れたことがあるだけで

まったく覚えていない場所でした。

すっごい広いっ 

つまり、島津家別邸の「仙厳園」というところに、隣接して幕末に斉彬さんが「集成館」事業を起こそうとした場所なんですね。

鉄製150ポンド砲」と後ろの石組み「反射炉跡

入ってすぐにあります。

数か月前に韮山の反射炉を見学してきましたが

同じことがここでも行われていたのですね。

この反射炉跡を含む旧集成館は「明治日本の産業革命遺産」として、
2015年に、世界遺産に登録されました。

こちらは反射炉の模型です。

こんな感じに建てられていたのですね 

こちらは単に売店 

名物の両棒(じゃんぼ)餅は、こういうもの ↓

  ※写真はお借りしています

二本差し、です 

ずっと前にここで食べていますが、あまり記憶がない…

お腹いっぱいじゃなければ、食べたかったところですが、パス 

南国っぽい感じです。

近代薩摩焼発祥の地の碑

半次郎さん 

示現流・自顕流展示室

島津家水天渕発電発電所記念碑

明治40年に、 島津家が経営していた山ヶ野金山に電力を供給するため、 姶良郡隼人町に建てられた発電所。

ヨーロッパ風の石造りの建物当時としては珍しく、昭和58年まで使用されていたそうです。

記念碑として譲りうけたもの。

正門

NHK大河ドラマ「篤姫」で、江戸の薩摩藩邸として撮影されました。

明治28年にでききたものだそうです。

木材はすべて鹿児島県の県木クスノキで、門の上部には島津家の家紋「丸十紋」と「桐紋」が彫られています。

さて、いよいよ「磯庭園」と呼ばれる大名庭園へ入ります 

続きは明日 

   2017年葉月14日  汐海 珠里

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