JavaScriptで製鉄所を実装してみた

PR

子どもを蝕む「製鉄所脳」の恐怖

以前、僕のブログでも取り上げたのですが、金正日は日本人である可能性が強いのです。これは国際ジャーナリストの中丸薫さん、元航空自衛隊空将の佐藤守さん、「横田めぐみさんと金正恩」著書の飯山一郎さん、ベンジャミン・フルフォードさんが言っている情報です。

この人たちは、金正日の奥さんがめぐみさんだと言っています。金正日は誰の子供かと言うと金日成の子供です。しかし、金日成の子供ではなく日本人の畑中理(おさむ)さんの子供であるという説もあります。北朝鮮をここまで造り上げてきたのは、元陸軍中野学校の畑中理の功績が大きいのです。

畑中理さんを記念して、北朝鮮には金策(キクテク)市があります。金策(キムテク)は、畑中理さんの朝鮮名だと言われています。これは「眉唾ものだ」と思う人も多いと思いますが、金正恩は日本人である可能性が強いのです。

日本は大東亜戦争で米軍に負けたと知ったときに、日本の負けた原因は原子爆弾だと知っていました。ある程度、中野学校出身者は全世界に散っていましたが、北朝鮮にも相当の人数が入っていたのです。北朝鮮は大日本帝国の第二の戦いの本拠地です。

「米軍が日本本土を攻撃するだろう」とわかっていたから、北に日本軍は終結したのです。この人たちは真剣に考えていたのです。「日本は原爆でやられた。だから何が何でも原爆を持たなければいけない」と考えていたのです。

当時、日本は原爆の技術を持っていました。理研の仁科博士の技術と満鉄の職員と関東軍などが、北朝鮮に集結して、北朝鮮を第二の日本にしようと思ったのです。これも本当の話だと思います。「アメリカの侵略に対抗するには原爆を造るしかない」と真剣に考えたのです。

畑中理さんは金日成を立てて北朝鮮の改革をやってきたのです。意識としては、第二日本帝国を造ろうと思ったのです。これは本当だろうと思います。北朝鮮は社会主義国家ではありません。第二日本王朝です。だから、どうしても跡取りは日本人でなければいけません。

畑中理さんの子供が金正日です。それが金日成の子供になったのです。金正日のお父さんは畑中理さんです。だから間違いなく日本人です。

このような説は日本人を味方につけるための謀略説だと言われます。僕も半信半疑ですが、様々なことを考えていくと、あながちデタラメとも言えません。

めぐみさんの祖母は、梨本宮方子様だと言われています。めぐみさんの息子を金王朝の跡取りにしたのです。金正恩の顔をよく見てみると、日本人的な顔をしています。普通の笑顔は日本人を匂わせるところがあります。残酷な点はちょっとダメですが。

北朝鮮の中では、日本人脈と朝鮮人脈の戦いがずっとあったのです。粛清されたのは朝鮮人です。「日本人に牛耳られてたまるか!」という、朝鮮人のための国家を造ろうとする動きはあったのです。それを畑中理さんたちは、グッと抑えてきたのです。この戦いが継続しているのです。粛清されたのは、朝鮮人です。

金策は「1951年、戦争中に死亡した」と言われていました。北朝鮮の公的な歴史ではながらく「戦死」とされていたが、金日成が死の直前に公刊した回想録『』によれば、「前線指揮の激務による過労でを起こして死んだ」としています。

金策は死んだあとに「共和国英雄」とされて、金策市、金策製鉄所、金策工業総合大学、金策軍官学校、金策航空大学ができて、金策号という船もあります。この金策号が畑中理さんのことだとわかっている人は、この船を出すと意味がわかるのです。

それで、この話に目をつけたのが統一教会です。統一教会が北朝鮮と親密になったのです。統一教会は優秀な人材がいます。彼らはターゲットを決めて戦略的に信者をつくっていったので馬鹿はいません。東大、京大、早稲田、慶應など、みんな優秀な大学卒です。そのような人間を北朝鮮に送り込んだのです。統一教会の優秀な人材が約3千名送り込まれたと言われています。

そいつらに自動車などを造らせていたのです。北朝鮮は自動車もできない国です。それがロケット、ミサイル、原爆など造っているのです。それは日本から送り込まれた優秀な人材が造ったのです。

畑中理さんたちのやった研究を引き継いで、統一教会の信者が引き継いで造ったのです。ですから、日本に飛んでくるミサイルは日本製だと思ったほうがよいのです。もちろん、部品も日本製です。造っている技術者も日本人です。統一教会の連中は2重、3重の洗脳をされているのです。

統一教会は、安倍さんのお爺ちゃんが日本に持ち込んだ朝鮮宗教です。こんな宗教がどんな害をなすのかよくわかりもせず、愛国者と称する岸信介が持ち込んできたのです。岸信介の渋谷にある松濤町の自宅を本部にしたのです。それが日本にミサイルを向けて、こんな形で帰ってくるのです。皮肉なことです。

統一教会で洗脳された連中にとって日本は悪魔の国です。しかも、畑中理さん流に言えば「アメリカの植民地になってしまった国」です。こんな国はぶち壊してもよいのです。「北朝鮮を中心に第二日本帝国を造る」ということですから、洗脳された日本人は協力します。

統一教会を日本で流行らせた結果、日本にミサイルを向けてきているのです。皮肉なことです。日本に統一教会を呼び込んだ岸信介の思わぬ誤算です。こんな形で帰ってくるとは思ってもいなかったでしょう。GHQに「神道に変わる宗教をつくれ」と命令されて持ち込んだ宗教が統一教会です。如何に宗教に無智かということです。

この宗教に洗脳された人間は、母国は朝鮮です。統一教会の文鮮明と北朝鮮の金正日は兄弟分の杯を交わしています。それを契機にして日本から優秀な人材をどんどん送り込んだのです。それでも足らなくて拉致をやっているのです。日本人でなければできないことがあるのです。だから拉致しているのです。

それぞれが重要な仕事についているのです。頭脳労働は優秀な統一教会の人間が行っています。朝鮮学校を出た連中に難しいことがわかるわけがありません。今、北朝鮮の中核をなすものは、統一教会の連中です。この連中がロケットの研究、原爆を小型にする研究などをやっているのです。それが日本を脅かしてきているのです。これは因果応報です。

「こんな宗教はいけない!」と僕は言っているのです。安倍さんは統一教会の合同結婚式に電報を打ったり、何を馬鹿なことをやっているのでしょう。それがこんな形で帰ってきているとわからないのでしょうか。

宗教は何でもよいのではありません。絶対に入れてはいけない宗教が統一教会です。ウソばかりついているのです。統一教会は世界征服の思想を持っています。朝鮮人を中心にして世界を征服するという思想を持っているのです。だから「本当のことを言うな。すべてウソで固めろ」というのです。

3個で千円の物売りに「貴方は統一教会ですか?」と聞くと、「いいえ、違います。統一教会って何ですか?」とトボケタことをいいます。これもアメリカのユダヤから学んだのです。ユダヤは正体を現しません。正体を現さないでアメリカを牛耳っています。

これから学んだのです。統一教会は姿を現しません。そのような作戦をとって、隅々まで入り込んでいます。統一教会は日本会議まで入り込んでいます。大学教授は世界教授アカデミーで取り込んでいます。ウソのサークルを大学にたくさんつくり、そこから人材を吸い上げて、頭のよい奴は研究所に入れて、女は売春婦で売りとばすのです。統一教会は悪い宗教です。これに安倍さんは女房と2人で肩入れしているのです。これは必ず神罰を受けます。

合同結婚式など、我が国の風俗ではありません。そんなものに電報を送ったり何をやっているのでしょう。しかも、国会議員は統一教会だらけです。

北朝鮮は日本にミサイルを撃ち込まないと言っていますが、それもわかりません。なあなあの関係かもしれません。拉致問題にしても何一つ解決していません。「何回も抗議している」といいますが、抗議しても辞めないのが北朝鮮です。

密約があって「日本に原爆は落とさない」と言っているのかもしれません。その代りパチンコのお目こぼしをしているのです。パチンコマネーを北朝鮮に流して、統一教会からは人材を送り込んでいるのです。恐ろしい話です。

自民党の中に統一教会を見なければいけません。稲田朋美、世耕弘成、高村正彦、高市早苗も統一教会です。こんなに入り込んでいるのですから、統一教会を通して自民党を見ていかなければいけません。日本人は宗教に無智だから統一教会に乗っ取られてしまっているのです。

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

 

 

製鉄所の未公開情報を通販ショップで提供、こよなく愛する女性のためのトレンド発信基地

安芸太田町、北広島町ともに広島県山県郡(やまがたぐん)に属し、

県北西部の県境の山間部に位置する町です。

町の北側が島根県に隣接しているのが北広島町です。

安芸太田町(あきおおたちょう)は、2004年10月1日、

山県郡加計町、戸河内町、筒賀村の2町1村による合併(新設合併)で誕生しました。
他の中山間地と同じく一次産業の衰退、過疎化、少子化と難題を抱えています。

北広島町(きたひろしまちょう)は、中国山地の1000メートル級の山々が

島根県との県境に連なっています。
太田川と江の川水系の源流域にあたり、手付かずの自然が残っています。
標高774mの東八幡原にあるアメダス八幡は、西日本最寒の地とも言われ、
1977年2月19日には-28.0度という低温が観測されています。

安野小学校(2005年休校、2008年閉校)

広島市安佐北区から国道191号を太田川に沿って上流へと

進みます。

安野トンネルを抜けて支流と分岐する場所にさしかかると、

堤防に赤茶色の屋根の美しい木造校舎が見えました。

正面の壁時計は、八角形の枠で美しく装飾されておりますが、

生徒達の手作りの卒業記念作品と思われます。

「清純」「創造」「友愛」とあります。

正門の閉校記念碑をみると、中学校も併設されていたようですが、

2005年に廃校となっております。

1991年度の在校生徒は24名でした。

PS) 2016年3月で校舎は撤去されたようです。

津浪小学校(2016年3月閉校)

国道191号をさらに進み、安芸太田町津浪地区の高台にあります。

白黒斑の瓦屋根にベージュの壁の美しい木造モルタル校舎です。

津浪地域は、中央部に標高440mの丸山があり、北東部から北西にかけて

山なみが接近していて、その間に扇状地が発達しています。
農耕地はこの扇状地に開けていますが、急な斜面と狭隘な地形のために、

あまり広い耕地はありません。
学校が地域のセンター的性格をもち、郷土芸能である神楽、

太鼓踊りの伝承の場にもなっております。
廃校ではありませんが、3学級、全校生徒10名のみの小規模校です。(2014年4月)

※追記:同校は2016年3月31日を以って閉校となりました。

猪山(いのしやま)展望台からの景色

旧加計町中心部から国道186号を北上します。

約10分で「猪山展望台」の標識が現れ、高台に登ってみると

素晴らしい眺めを堪能できます。

写真に写っている湖は温井ダムで瀧山峡大橋がダム上流部に

架かっているのが見えます。

猪山(いのしやま)小学校跡地(2009年閉校)

訪れたときは、既に更地となり校舎は姿を消していました。

古い開学百年の石碑と新しい閉校記念碑が建っていました。

門柱だけ往時のまま残っておりました。

お墓のような閉校記念碑には、無念に満ちた言葉が

何もない敷地に響き渡っていました。

「134年の学舎の灯が消える」

杉之泊(すぎのとまり)小学校(1998年休校、2009年閉校)

加計地区に戻り、県道305号に入ります。

沿道から薄いピンクの校舎が見えました。

山間部の小集落の学校です。

こちらも、立派な閉校記念碑が建っていましたが、

猪山小学校と同様に134年の歴史を閉じたとありました。

1991年度の在校生徒は10名でした。

寺領(じりょう)小学校(2008年閉校)
県道305号を寺領川に沿って進んでいくと、

錆び交じりの青いスレート屋根の校舎がありました。

ここにも閉校記念碑が鎮座しており「懐郷」とあります。

巣立った生徒達が故郷を懐かしむのは何年後のことでしょう。

幼稚園も併設されていたようです。

1991年度の在校生徒は13名でした。

井仁(いに)の棚田

旧筒賀村井仁集落に広がる棚田です。

平成11年(1999年)7月26日に広島県から唯一、農林水産省の

「棚田百選」に選ばれました。

案内には324枚とあり、千枚田ではないですが、石積の棚田は珍しいです。

先人の労苦が偲ばれます。

棚田は機械が出入りできないため、生産性も悪く後継者もいない等の

問題があると聞きますが、保全・伝承していくのは並大抵ではありません。

井仁(いに)小学校(1975年休校)

棚田を眺めながら奥に入っていくと突き当たりに2階建ての

木造校舎があります。

年季の入った門柱と表札です。

棚田の景観に調和するかのように石垣に校舎が建っていました。

休校になってから、ずいぶん長い歳月を経ておりますが、

思った以上に校舎はしっかりとしていました。

打梨(うつなし)小学校(1971年廃校)

国道191号をに戻り、安芸太田町役場を過ぎ県道296号に入ります。

人家も疎らな狭い道を突き進んでいくと、原っぱのような広場に出ます。

そして、年代の異なる平屋の木造校舎が忽然と姿を現しました。

寄棟造りの新しい建物は、屋根や窓を改築され集会所となっていますが、

切妻造りの古い建物は下見板張りの木造校舎です。

間違いなく往時のものと確信しました。

同時に、このような山奥で現存する廃校舎に遭遇し感動しました。

打梨集落

隠れ里といえる秘境です。

那須小学校(1971年廃校)

打梨と同じく秘境の集落です。

周囲の状況から、入母屋造りの平屋の建物が

小学校校舎であったと思われます。

現在は「那須ギャラリー」となっておりますが、

ここまで見に来る人は少ないと思われます。

四合小学校(1969年廃校)

国道191号に戻り、三段峡の入口の川手集落にあります。

沿道から重厚な建物が見え立ち寄りました。

四合という地名は地図に載っていません。

旧戸河内町の頃には存在したのかもしれませんが、詳細不明です。

現在は、「四合生活改善センター」として使用されています。

松原小学校(2008年閉校)

国道191号を北上し、北広島町との辺境の松原地区にあります。

沿道右手に「神楽の里」の看板があり、左手に木造校舎がありました。

神楽には宮廷神楽と里神楽の二種類があり、後者の流れをくむ石見神楽(島根県)は、

広く中国地方一帯へと伝わり、現在も芸北地方のほか広く伝わっております。

校舎は、下見板
張りの味わい深い木造校舎です。

閉校記念碑には「松原学園」とありましたが、小学校の前身は私学だったのでしょうか。

詳細不明です。

1991年度の在校生徒は19名でした。

さらに国道191号を北上し、辺境の小板集落に着きました。

校庭だったはずの敷地は雑草だらけ、錆びた遊具が寂しそうに

残っています。

平屋建ての木造校舎が長屋のように連なっております。

窓はサッシに改修されていました。
閉校後は民間所有だったのか、窓に会社名が貼ってありました。

人影はありません。

廊下や教室を覗いてみました。

教室には、小さな椅子が一脚だけ黒板の中央に

置いた状態で机もなく殺風景です

生徒は一人だったのでしょうか。。

黒板の上の写真をよくみると、

生徒と先生が一輪車に乗って手を繋いでバランスをとっています。

背景は、先ほど見た平屋建て木造校舎です。

やはり、生徒一人先生一人の山の分校だったようです。

児童が乗っていた一輪車でしょうか、跳び箱と同じ倉庫に

置かれていました。

筆書きの校歌は、年季が入った表彰状のようにも見えました。

松原小学校小板分校(1994年閉校)

最盛期には何名いたのでしょうか。

校舎は思ったよりも大きく二棟ありました。

(一棟は教員住宅なのかもしれませんが。)

最後の一人の生徒はどこで何をしているのか気になりました。

雄鹿原(おがはら)中学校(1968年閉校、現:さつきケ丘保育所)

北広島町に入り、国道191号から307号に進み

国道186号に突き当たった場所にあります。

小学校は鉄筋2階建ての校舎ですが、隣には古い木造校舎があります。

庭先の鯉のぼりやカラフルな遊具だけ見れば保育所と頷けますが、

校舎はとても保育所には見えません。

前身は中学校だったからでしょう。

ただ、品格と温もりを感じる美しい木造校舎です。

春の桜で満開の頃は、一段と美しい光景となることでしょう。

雄鹿原小学校橋山分校(1972年廃校)

国道186号から県道11号へと入り、「紅しだれ桜」で知られる橋山集落にあります。

臥龍山の麓、人家もない寂しい場所に骨董品のような建物がひっそりと佇んでいました。

入口の石段や門柱越しに見た、入母屋風の平屋建て木造校舎は、とても味わい深いものです。

長い歳月を風雨に堪えた瓦屋根と板張りの壁は、何とも言えない渋い色合です。

廊下や教室を覗いてみると、黒板や五十音のポスターが往時のまま残っていました。

現在は、「橋山老人集会所」となっております。

美和西小学校(2000年廃校)

再び国道186号に戻り、細見地区から県道40号へ、大暮口から

大暮川に沿って上って行きます。

田園の中にチョコレート色の木造校舎が姿を現しました。

屋根や壁の塗装からみると、それほど年数は経っていないようです。

改装してほどなく廃校になったと思われます。

現在は「清流の家」として使用されていますが、

そのHPには、控えめなコメントがありました。

「何もない地域や施設ですが、自然がいっぱいあります。」

1991年度の在校生徒はわずか9名でした。

山県(やまがた)製鉄所大暮(おおぐれ)工場跡

美和西小学校の近くに、大きな煙突が立っており

目を引きました。

案内を見ると、明治34年に設置された溶鉱炉は山県製鉄所として

大正14年まで操業したとあります。

たたら製鉄のメッカであった芸北地域ですが、

この史跡は町の文化財として保存・管理されております。

平見谷(ひらみだに)小学校(1992年休校)

県道40号から県道306号に入り、再び安芸太田町へと南下していきます。

沿道のバス停「下平見谷」にピンクの校舎がL字型に建っていました。

鉄筋のしっかりとした造りの校舎です。

しかし、近付いてみると、壁は剥げ落ちている箇所も多く

長らく手入れもされていないようです。

庭先の錆びた遊具も年季が入っています。

校庭には、生徒二人先生二人の手形が閉校記念碑として刻まれておりました。

ゆっくりする間もなく、陽が傾きかけた静かな山間集落を後に家路を急ぎました。

PR

コメントは受け付けていません。