微塵はじまったな

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微塵が盛りだくさん♪

今回は恋愛ネタではありません
自分の思うままに書いたら、多少気持ちの整理ができるかなと思い書いてます…

先日母に激ギレしました。

「あ?」となるのはしょっちゅうでしたが、久しぶりに怒りが振り切れてもう発狂レベル。
以前アメンバー記事で母との関係を書いた時、色々な方からコメントをいただき、その時初めて『毒親かもしれない』と思いました。
表面的に分かりやすい虐待やネグレクトではなく、傍から見れば全く分からないようなこと。
・何かにつけて自分の考えを押し付ける
・こちらの考えを認めることはなくほぼ否定や批判、反対をされる
・第三者の前で蔑むようなことを言う
当人は冗談交じりに言っているつもりで、傷付けているとは微塵にも思っていない。
文句を言えば『わがまま』『成長しない』『性格直せ』『あんたのためを思って言ってあげてる』で片付けられる。
例えば母と一緒にショッピングしていて、バッグを買おうとする。
すると母が「こっちの色の方がいい」と勧めてくる。
「こっちの色の方が〇〇だしいいと思う」
両方見比べて悩むものの、結局自分の選んだ色を買う。
「えー、こっちの色の方がよかったのに」
「ほんとに趣味が合わないわー」
こういうのはまだ軽度レベル。
出産直後に骨盤がズレて立ち上がることも歩くことも困難になり、里帰りしていた実家で出張の骨盤矯正を受けることにした。
先生が私の骨盤周りをチェックしていたら、
母「お腹すごい出てるでしょー(笑)」
先生「え、まだ出産して1週間とかでしょ?」
私「そうです」
先生「それならこんなもんですよー!」
母「いやいや、元が太ってるからねー。ちょっと痩せなさいって言ってるのに全然で(笑)」
先生「……お母さん厳しいですね(苦笑)」
これが蔑むパターン。
毒親なのか、ただ性格が悪い人なのか、私を思って口うるさく言ってるだけなのか、ほんとに分からなくなり本を買ってみた。
途中まで読んでみたけど、やっぱり分からない。
両親は自営業で共働き。
定休日は平日。
私はひとりっ子。
金銭的には比較的裕福だったとは思う。
日曜日は1人で過ごすことが多かった。
友達はみんな家族と出かけていた。
父親の女性関係でよく夫婦喧嘩をしていた。
怒鳴り合いはもちろん、包丁を持ち出した事もあった。
母親が荷物を段ボールに詰めている姿も記憶にある。
小学3年生ぐらいの頃、『りぼん』か『なかよし』の付録に水に濡らすと溶ける紙が付いていた。
『願いごとを書いて水に濡らし、溶けてなくなると願いが叶う』と書かれていた。
そこに泣きながら「お父さんとお母さんが喧嘩しませんように」と書いたのを覚えている。
「ねー、お母さん見てー」
と話しかけても、仕事と家事で忙しくまともにとりあってくれない母の後ろ姿。
とにかく寂しい子供時代だったように思う。
でも寂しいとは言えない。
言ったらダメだと思っていた。
うまくまとまらず長文になってしまったので、続きはまた今度にします

微塵 何も足さない、何も引かない

私は大切な寝たきり君の介護の事、仕事の事、自分の躁状態の辛さ、それに振り回されていた気がする。

だから私は彼女の自傷行為の始まりを旦那に言われるまで気付かなかったし、息子からの離婚話が先だったのか後だったのかすら覚えていない。
だからここに記す事は時系列的には正しくないが知れない。
彼女が更に?せ細り、目に力がなくなっていっているのは分かっていた。
2015年の12月に私の同級生が腎臓がんで亡くなり、りっくんの送迎が出来なかったことがある。
私自身同級生の突然の訃報はとても辛く、闘病で?せ細り髪の毛が抜けてしまって、いつも被っていたハットを被り眠る姿は本当に辛かった。
翌週彼女は珍しくりっくんを車まで見送りに出てきた。
その時
「お友達何の病気で亡くなられたんですか?」と尋ねてきた。
「腎臓がんでな…一年間闘病したらしいねんけどあかんかって…。」
と答えると彼女は
「そうなんですか…。」と私の答えとは違う方向を見ている気がして、私は言葉にならない違和感を覚えた。
ある日りっくんを迎えに行きご飯を食べに行って家に連れて行くと、会社を辞め就活中だった息子が出てきた。
「LINE見てないの?」
いきなり言った。
「え?」
「ちょっとりっくんをじぃちゃんに見てもらってオカンだけ家に入って。」
嫌な予感がした。
その前に息子とのLINEで息子が彼女と離婚したいと、その方が彼女は幸せだと言うような事を言っていた。
案の定離婚したいと。
「ゆうちゃんが離婚したいって言うんです。私は嫌なんです。」
彼女の声が今でも忘れられない。
「何で?」と聞くと、今でも本当に息子はバカだと思う。
東京に行っている間に借金を90万も作ったらしい。
ギャンブルだろうと想像するのは簡単だった。
そして彼女に対して愛情がなくなったと言った。
なぜこんなに鬱の時にこんな話を切り出したのか?
息子の気持ちがわからなかった。
息子なりに病気がどんどんひどくなる事を思うと、別れて実家に返しお金の心配もなくゆっくりさせたいと思ったのも確かな気持ちではあったとは思うが、彼女がそれを受け入れるとは到底思えないのに…。
私は息子を叱った。
結婚して5年も経てば『愛情』は薄れて行くのは当たり前の事だと言った。
彼女は私の横に立ち
「私は好きなんです。薄れてないんです。」と私に必死に訴えてきた。
私は訳がわからなくなり、どうここを収めればいいのか、言い出したら引かない息子を止めることができるのか必死で考えた。
本来なら、息子をもっと叱り飛ばすべきなのは充分に分かっていた。
なのに私は真っ先に、ある意味特性のある息子だけを悪者にしてしまうと、息子はもうこの家に帰らないし、私に話もしなくなると思った。
だから、息子の悪い所1つ1つ挙げながら、以前息子から聞いていた彼女に対しての不満を問題ない程度に彼女に言った。
「この子も一応稼いできているから、毎月必要以上のお金を渡す必要はないけど、インセンティブがまとまって入った時とかだけ、それなりに渡した方がいいと思う。それは私も働いてて頑張った分何かご褒美的なものが欲しいと思う時があるから。」
とか、メンタルだけではなくてよく身体をこわす彼女に対して、自分といるせいで身体が弱くなってきたと思うと息子が言うので
「しーちゃんも今は食欲がないのは誰より分かるけど、りっくんもおるんやから少しずつでもタンパク質とビタミンは摂った方がいい。」
とか言ってしまった。
本当に彼女を責めるつもりなど微塵もなかった。
私の一瞬で立てた計画は、鬱でしんどい事も頭に入れた上でまず
『息子が家から逃げない。彼女とりっくんから逃げない。』
『家にきちんと帰る、家に居る様になれば息子の聞き入れるタイミングでゆっくり話をしていく』
だった。
だから彼女に無理を押し付けてしまった。
この順序でいけば、あとあときちんと彼女の気持ちも想いも、私から息子にゆっくり話せると信じての事だった。
これは長くかかる計画だと分かっていた。
息子が話し合いの途中に何度か「別れたら別れたで後悔すると思うけど。」と言う言葉に希望を見いだしていた。
そして彼女の鬱が浮上する時間も計算に入れていたので、ゆっくりじっくりとこの3人を支えていこうと、私は思っていたのに…。
これから始まる彼女の不可解な言葉や、自傷行為と私の計画のバランスがどんどん取れなくなっていったのに、どこか私は自分の計画通り進めば彼女を救えると信じてしまっていた。

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