微塵 システムが止まると、パパも泊まる。

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微塵 平和は 与えられるものではない。

おはよ~ございます 
早いもので
8日の夜に苦しみだしてから
1週間以上経ってしまいました 
こんなにず~っと寝てるのは
赤ちゃんの時以来でしょう(笑)
それにしても
困り果てているのは
病院の食事
ほんとに…食べれません。
これじゃ痩せていくよぉ。


そんな時、ちび丸からLINE
「クソ旨い!」
そりゃそ~でしょ~よ。
ママにも食べさせてあげたいなんて
微塵もよぎってないであろう


昨日、お見舞いに来てくれた妹から
キャーー!
鰻で元気つけてねって。
つける!つける!

嬉しい~
いただきま~す?
久しぶりに美味しいって思うご飯!

久しぶりにお腹い~っぱい!

はぁ。
やっぱり美味しいご飯って幸せだなぁ 
さて。
今朝の血液検査の数値が良くなってたら
退院の日が決まります。
どうか、炎症が治まってますように~ ?

ではでは、今日も笑顔いっぱいの1日を 

絶対失敗しない微塵選びのコツ

↑↑↑↑↑
昨年の8月に書いた、
私の父と母の戦争体験を書いています。
(実際聞いた話を
  マイルドに書いてありますが、
  苦手な方はスルーしてください。)
1945年8月15日。第二次世界大戦、終戦。…

あの日から、72年が経ちました。



終戦の時、

父は20歳、母は15歳。

終戦の天皇陛下の玉音放送を聞き、

敗戦を知り、声をあげて泣いたそうです。


時は流れ、父と母は出逢い、

父39歳、母35歳で結婚しました。


二人の結婚記念日は8月6日。

そう…ヒロシマの原爆記念日です。



私は大人になってから、

『何故その日に結婚したのか?』と、

母に尋ねました。


すると母は言いました。

『…この日は忘れられない日やからな。

あの戦争を…。

そして【ヒロシマ・ナガサキ】の出来事を

忘れないためや。…』

と言っていました。


そう微笑みながら話す母の横顔は、

どこか寂しげに見えました。

胸に抱えた悲しみを

思い起こしたのでしょうか…。



この1945年8月6日から15日の出来事。…

毎年戦争の番組が放送される度に、

父と母の脳裏には、

あの4年にも及ぶ

凄絶な『第二次世界大戦』が

甦ってくるようでした。


そのテレビの放送を見ながら父と母が

いつも言っていたことは、

『戦争はもうイヤや。

  こんなこと、二度とあってはならん。

  平和に過ごせることの有り難さを

  忘れたらアカンのや。』と。


  
  戦後70年以上経つと、

  この戦争の出来事を知る人が

  少なくなってきたせいか、
  
  テレビ番組も殆ど

  放送されなくなってきました。 …



   どうか、忘れないで頂きたいのです。

  この国を守るため、決死の覚悟で


  戦い、命を落とした

  多くの人達のことを。… 

  
  心に夢を描き、志半ばにして

  儚く散った命を弔うことを。…

   
 
  世界平和を守るのは、

  日本の平和を守るのは、
   
  私たち、一人一人なのです。
戦後20年ちょっと経った

昭和40年代初頭、

私はこの世に生を受けました。


田舎で小さな自営業を営む父と母と、

一つ違いの姉と共に、

愛情深く、大切に育てられました。

私の生まれた昭和40年代は、

正に【高度経済成長】の真っ只中。


歴史に残るような出来事が多く、

激動の時代でもありましたが、

私の幼い記憶に残るその時代は

本当に平穏で、笑いに包まれた、

活気溢れる時代でした。


※私の何となく覚えている、その頃の出来事

カラーテレビ・クーラー・自動車の
【新・三種の神器】、

子供の大好きなもの
【巨人・大鵬・卵焼き】、

第一次オイルショック
【洗剤、トイレットペーパーが無くなる?】
と、買い占めに走るお母さんたち…
結局、大事には至りませんでした。


子供の私から見た

当時の『日本』は

戦争があったことなど

微塵も感じないくらい、

物凄く勢いがありました。


今思うと、
あの『日本の国の底力(そこぢから)』は

戦争を経験し、

多くの大切な人、

大切なものを失い、

心傷ついた人々が、

『あの輝く日本をもう一度取り戻そう?』
『負けてなるものか?』

と、魂を奮い立たせた『底力』

だったと思います。


『ドン底』の

あの時代を

生き抜いた人たちの持つパワー。


苦しいことにも

歯を食い縛り、堪え忍び、

新しい物を産み出し、

新しい道を切り開いていく。…


何事にも前向きに捉え、

逆境をバネにし、

立ち上がる強さがありました。


戦後20年で

『ジャパニーズ・ミラクル』を興した

戦争を体験した世代の方々は、

男性も女性も

骨太で強靭な精神力を

持っていたように感じました。


それと同時に、
深い思い遣り、優しさ、助け合いの心…

日本人の美徳も

忘れていませんでした。

あの【高度経済成長期】を作り上げた人々は

礼節を重んじ、気骨ある

『武士の魂』を受け継いだ

最後の世代だったように

私は思うのです。




そして今…
私が生まれながらにして乗り込んだ

『日本』という船は

 幾重もの荒波を越え

 何処へ向かい、何処へたどり着くのか…

【幸福(しあわせ)の羅針盤】のベクトルが

【平和】の岸辺を指し、

  其所(そこ)に着いたとき…

  穏やかな波を見つめながら

  皆で笑いあって

  暮らしたいものだ…



私はそう思うのです。